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Sunday, June 10, 2012

Going to Isle of Skye via Mallaig

マレーグ経由でスカイ島へ…♪

スマホXperia acroを『サブカメラ』として使っているが、
「タブレットはiPadを使っていて、スマホはなぜ、iPhoneじゃないんですか?」と訊かれることがある。

携帯電話をスマートフォンに代えた当時、「カメラ性能にアドバンテージを持っていたのが、Android系の
Xperiaだった」だけのことで、それ以外の理由は何もない。

Xperiaに新たなモデルが加わっても、私は機種更新を怠ったままなのだが、それでもXperia acro
カメラを意識させないカメラとして、旅のお供には最強のカメラとして、メインカメラCanon EOS
牙城を侵略し続けている。




こんな私にも、フォトコンに挑戦し続けた時期があった。
カメラ雑誌の月例フォトコンへの挑戦を手始めに、二科展や国画展などの著名な写真公募展にも
挑戦し続けた。

単なる入選では、満足できなかった。
あくまでも、最高位での入賞を狙っていた。
どうして、あんなに「最高位の賞」にこだわり続けたのだろうか~と、今からおもえば可笑しくなる。

まるで熱病にでも冒されたように、入賞できる作品を撮るためだけに試行錯誤し、工夫を重ねた。

乏しい小遣を工面して写真機材を揃え、限られた時間の中を図書館に通って関連する書籍を読みあさり、
銀座や新宿のサロンで催された写真展に通いつめた。


旅にも出たが、その旅は、ひたすら賞が取れる芸術写真を撮るためだけの旅であった。

『公募展』で成果をあげるためには~その公募展が著名で大きなものであり、由緒あるものであれば尚更~
撮影旅行に出かけることが必須だ」と教えらたからだ。

重い機材を持ち歩くことに人一倍臆病な私だったが、「芸術写真を撮る旅」は重装備が常とわり切って~
メインの中型カメラ、サブの一眼レフ、交換レンズ、レリーズ、ストロボシステム、三脚など~、
ひと通りの道具を備えて持って行くことが、この種の撮影旅行のセオリーだと信じて疑わなかった。



今では『芸術写真撮影のテクニックに埋没する旅』は、無意味だと思っている。
そしてなにより「作画に熱中するだけの旅」ではつまらない。

初めて訪れた土地で「ガツガツとシャッターを押し続ける」だけの旅をするのでは、余りに寂し過ぎる。

           ――― ――― ――― * ――― ――― ――― * ――― ―――

写真同好サークルのベテラン諸氏から「ビギナーズ・ラックだよ!」と揶揄されたが、最初の挑戦で、
大きな公募展に「初挑戦で、初入選」。

それ以降、カメラ雑誌月例コンテストの「入賞の常連」になれたし、大きな公募展で『価値ある』も
得て、憧れであった『会員』にも推挙された。




誰かが、どこかに「旅には小さなカメラがひとつあればいい」と書いていた。

思い返せば、重装備の撮影旅行に出なくとも、写真は撮れていたのだ。
フイルム1本勝負」で撮る 旅のついでのスナップ写真

出張カバンに、リコーGR21(36枚撮り125ポジフイルム装てん)を忍ばせて、赴いた出張先。
フジフイルムGA645Wi(32枚撮りの220ポジフイルムを装てん)を持って出かけた、金沢、京都、東京のいつもの街角。

GR21も、GA645Wiも基本的構造は、レンジファインダー機そのもの。
レンジファインダー機は、意気込んで構えても、構図がビシッと決まらないから、ササッと撮る




ササッと撮った写真は、芸術写真撮影のテクニックから完全に逸脱している。
歩きながら、ノーファインダーで撮る。
被写体の近づき、立ち止まって直ぐに、ササッと撮る。

撮った写真は、ステレオタイプの名作写真になることは無いし、何処かで観たような写真
なることも無い。

旅先の光景の中に、 視線を外すことで得られる新鮮なシーンが、広がっていた。
思い返せば、『大きな公募展で勝ち得た価値ある』は、GR21GA645Wiで撮った作品であった。
スマホで撮る写真は、レンジファインダー機で撮る写真に、とてもよく似ていると思う。




Friday, April 27, 2012

The upper reaches of the Edogawa River: photo walking

江戸川の上流域、写真散歩…♪

桜が散ってしまっても、ハナミズキが代わってあでやかな花をつけ始める。

我が家の近くには街路樹がハナミズキの長い通りがあって、その街路樹が満開に近づくと私は
「花冷えの季節」が去って『カメラ片手の散歩(photo walking)』の季節が来たことを実感する。

私は今年も「さくら」や「はなみずき」をたくさん写した。
春の季節を感じながら写真を撮るのは、やっぱり気持ちが良いものだと思う。

きもち良いものを代表する言葉に、春風夏雨(しゅんぷう かう)があるが、春の薫風はとりわけここち良い。

サクラを楽しみ、ハナミズキを楽しんだ私は、こんどは春の風を楽しみたいと思い、春の水面(みなも)
わたり来る風をもとめて、カメラ片手に江戸川散歩へと出かけた。
 


江戸川河口堰から河口付近の三番瀬へと向かおう~とも考えた。
でも今回は、広報の記事に誘われて、長閑な春景色が楽しめそうな上流域へ向かうことにした。

東京都民の重要な水源でもある江戸川は、千葉県と埼玉県と茨城県の三つの県が交わる「関宿分岐」で
利根川と分かれる分流であり、流路延長60km弱の短い部類の河川である。
 


今回のphoto walkingもやっぱりレンズ一本勝負
レンズ1本勝負といえば、28mmもしくは 35mmをつけることが多いのだが、今回はEF85mm F1.8 USM
をつけた。

レンズ一本勝負は~多くのスナップ写真ブロガーと同じ気持ち、 ボディ1台にレンズ1本だけの身軽さで、
可能な限り多くの場所を歩き回りたい~からに他ならない。

85mmといえばポートレートレンズ、photo walkingに向いているとは言いがたいが、それでも、
このレンズで撮れるものだけを撮る



歩きながらパシャ、パシャと撮ってゆく。
歩くリズムに合わせて、シャッターを押してゆく
装着した32GBのCFカードは、1日位のphoto walkingでは、オバーフローすることはない。

CFカードには『何てこと無い写真』が、どんどんたまって行く。
アングルや、フレーミングにちょっとだけ気を遣っても、決して、名作を撮ろうなどと思わない

気の向くままに、シャッターを押していくだけだ。
春の風に吹かれながら、パシャ、パシャ~これがまたタマラナイ!



**

Wednesday, October 12, 2011

A camera phone; Think about your background

携帯カメラ; 背景を考える…♪

江戸時代、芝の増上寺(ぞうじょうじ)は、上野の寛永寺(かんえいじ)と共に、徳川家の菩提寺として権勢を
誇っていた。
その増上寺で今、戦後初となる三門(正式名称は三解脱門)の一般公開が行われている。

一般公開と言っても、早い話が、特別拝観料500円を払えば、楼上(三門2階内部)に上って、釈迦三尊像、
十六羅漢像、増上寺歴代上人の尊像を、拝むことができるというもの。

東京都内に現存する最も古い木造建造物のうちの一つに数えられる 増上寺の三門は、
日比谷通りに面して威風堂々と建っている。


三門に上って、楼上から参道を見下ろせば、両側に 芝公園の緑が広がっている。
緑の先に 増上寺の表門芝大門が見え、その先には 貿易センタービルやJR浜松町駅が見える。

江戸時代の初期にあっては、JR浜松町駅のすぐ先は、海だったそうだ。

江戸の庶民は、増上寺の三門に上って、
江戸の町を俯瞰し、江戸の町の直ぐに広がる海、“江戸前の海”を眺めて楽しんだと聞く。



多くの場合、『スマートフォンのカメラ機能 ~ 総称して 携帯カメラ ~ 』には、広角域のレンズが
付けられている。

換算値で30㎜から40㎜の焦点距離のレンズでは、
たとえ、デジタルズーム機能を使っても、撮影の基本は、パンフォーカス撮影とならざるを得ない。

ゆえに携帯カメラでは、主題を背景から浮かび上がらせる撮影、ボケを生かすような撮影は、難しくなる。


そんな携帯カメラによる写真撮影には、二つの選択肢があると云われる。
ひとつは、単純に、画面いっぱいに被写体を大きく撮る方法。
他のひとつは、散乱物を少なくして、主題となる被写体の背景をシンプルにして撮る方法。

これ等の選択肢は、携帯カメラによるポートレート撮影の場合には、とりわけ大切とされる。
それでも私の場合には、この選択肢を完全に無視することが多い。


  A camera phone isn’t able to isolate the subject from the background. You have two options to deal with
   this. You can either go with less clutter, and make sure your subject is in front of a simple background,
  or simply fill the image with your subject. This is particularly important when it comes to portraits.
  There are other times you can throw this rule right out the window. With street photography, for example,
  a busy scene which fills up the screen can often make for a fascinating image.



ClarksのシューズとUNIQLOのジーンズ。
そして銀座・英国屋のカッターシャツに、これもUNIQLOのジャケット。

これが、私が 気軽に街角写真を楽しむ時の“定番スタイル”である。

ポケットには、スマホのXperia acroと、読みかけの新書
新書は街歩きの途中、スタバでも~昔ながらの純喫茶でも~珈琲を飲みながらの「息抜きの友」となる。


スマホのカメラ機能を「速写モード」にセットして、素早いスナップに備える。
デジタル・ズームは、絶対に使わない。
身体で覚えた“広角(換算)28ミリレンズの画角”を頼りに距離を測って、シャッターを切る。

散歩写真の「小さな旅」を楽しむ途中、街中で出くわすスナップの瞬間は、
“画面整理を考える時間的余裕”は無く、“主題を強調するために被写体に迫る”ことさえ難しい。

私の携帯カメラ撮影術、パンフォーカス写真に特有の 画面を埋め尽くす騒がしいシーンが 思わぬ
発見を伴って 意図しない魅惑的な作画を生み出してくれる
こと…に期待して撮影すること




Wednesday, September 7, 2011

A camera phone; How to take incredible photos

携帯カメラ; 信じられないような写真を…♪

フリッカーFlickr』に投稿された写真で、最も多いのは
アップル社のスマートフォンiPhoneによって撮られたもの…という面白い調査統計が発表された。

iPhone写真は、さらに増える傾向にあり デジイチを凌駕し、衰えることを知らない。

iPhone(アイフォン)はもとより、それがAndroid(アンドロイド)系であっても、
スマートフォンのカメラ機能 ~ 総称して 携帯カメラ ~ 』の飛躍的な向上は、驚くに値する。

デジイチ開発によって完成の域に達した“カメラ機能”が惜しみなく投入され、
撮影者の創造性を補完する“優れ者のアプリ”が相まって、
(携帯カメラで撮られたとは思えないような)素晴らしい作品をモノにすることができる。



8月になって、私の許へXperia acro(エクスペリア・アクロが届いた。

この新しいアクロの到着によって、
私は「スマホ・Xperia arc(エクスペリア・アーク」と「携帯・FoMA」の…二刀使い を卒業した。

スマホ+携帯の「二刀流」から、スマホ1台の「一刀流」に戻ったのである。
身軽な装備で、気持ちは軽く、動きも軽やかに、写真散歩に出かけるようになった。

かさ張って重い“デジイチEOS 5D MarkⅡ”と、
かさ張って重い“キャノンのL-レンズ”を持ち歩かなくても、
このアクロひとつで、何時でも何処へでも、気の向くままに、散歩写真が楽しめるようになった。

GPSがあるから、地図はいらない。
ネット検索ができるから、ガイドブックもいらない。
32Gの容量は、気楽な写真散歩には十分すぎる容量なのである。

このアクロひとつで、なんでも出来るのである。



ガッチリした 三脚 に、大口径の APO-Teleズーム をセットして 露光間ズーム を多用するのが、
私の花火撮影の従来の姿…(*^^)v

今回の隅田川花火は、
カメラは持たず、ただ、スマホのXperia acroを持つだけ。

写すことだけに執着するのではなく、『花火の宵』を楽しみたいと思った。
花火が打ち上げる空…その下にわが身を置く~そのこと自体を、楽しみたいと考えた。

携帯カメラで撮れるものだけを撮る…そんな爽やかな割り切りの撮影術が、好いと思う。


頭上から降り注ぐ閃光、そして弾ける音!
花火見物に出かけて、花火を撮らない…ってのも、又、一興ではないか!

3.11東日本大震災から続く自粛ムードの中で、
8月27日(土)になって、月遅れの隅田川花火が開催された。

いつの世にも、花火は『夏の風物詩』。そして花火は、屋形船に乗って観るのが粋狂…(^_-)-☆



Tuesday, April 27, 2010

Omikuji, fortune-telling of love

おみくじで恋占い…♪

Omikuji (divine fortune) are written fortunes available at both shrines and temples.
The degree of fortune are daikichi─great; kichi─good; shôkichi─moderate; kyô─bad. There are various opinions about what to do with the paper when you’ve read it.

If their fortune is bad, many people tie it immediately to a branch of an adjacent tree as a prayer for divine protection (sute-mikuji) .

The shrines and temples suggest you should eventually return the paper, if possible to the same place where you received it, and tie it up.



そよ吹く風が、やけに冷たく感じられる日であった。
このところ、よく取沙汰される異常気象が、湿度を異様なまでに押し下げているようだ。
春の陽射しの桜の季節が、あたかも初秋であるかの様に思われた。

こんな日には決まって、カメラ片手の「気楽な街歩き」へと、洒落込みたくなる。

歩きながら街角スナップを楽しむ行為は、写真散歩とか、Photo Walkingとか云われたりもする。
私は、これを「小さな旅でもある』と思っている。


電車で行こうが、バスで行こうが、問題にはならない。
交通手段が問題にならないのは、乗り物を降りて、歩き始めてからが『小さな旅』なのだからである。

小さな旅には、様々な場面との出会いがあり、沢山の人との出会いがある
この出会いこそが、小さな旅の楽しみなのだ。
カメラを持っているだけで、人に気安く声をかけてしまうのが不思議だ

カメラを持つと人に気安く声をかけるのは、
登山で人とすれ違う度に「こんにちは♪」と声をかける作法に似ている。

カメラは人と対話する道具である』…と言われるのも、あながちマチガイでは無いようだ。


  長い石段を一気に駆け上り、息をきらす私の視界に、若い二人が映った。
  沢山の参詣者の中で、どうしてこの二人に、視線を奪われてしまったのだろうか。
  肩を寄せ合うようにして、おみくじを読む二人の、余りに真剣な後姿に惹かれたからなのだろう。

  一度は切らした息を静かに整えて“二礼二拍手一礼”の参拝をすませ、
  拝殿から社務所に向かって歩いた私であったが、
  其の時になっても、若い二人は、まだおみくじを読み終えてはいなかった。
 
  おみくじには、いったい何が書かれているのだろうか?
  興味津々の思いに駆られた私は、そっと二人に近づいて、カメラのシャッターを切った。


近接撮影した若い二人の写真には、後姿のみで表情が写っていない。
写真教程の教科書には、きまって『人を撮る写真は、表情が決め手になる』と書かれている。

それでも私は、
写真に写る表情ばかり気にしていると、人間の本当の顔が見えなくなる…のではと心配するのだが…!


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Saturday, April 17, 2010

Mysterious light of Osawa Pond

大沢池の不思議な光…♪

Osawa no ike : Located in the east of Daikakuji, this is the oldest artificial garden in Japan surrounded by woods and a pond spanning a distance of approximately 1 km.

Emperor Saga built it imitating Dongting Hu lake in China. It is also called the garden pond.

There are two islands, Tenjin-jima Island and Kikuga-shima Island, and a stone called Teikoseki. This arrangement of the two islands and the stone resembles the basic form of Ikebana Saga Goryu.



大沢の池にでると、春の陽は西へと傾き、辺りはすでに暮れなずんでいた
私はこの日、旧嵯峨御所の大覚寺で、今年の最初で最後となる“京の桜”を楽しんだ。
桜の季節は余りに短い。
桜の最盛期に、都合よく関西出張を作れなかった今年は、悔いが残る年となった。

堂宇を出て境内脇から、大沢池の船着場(観桜と観月の船)まで来ると、3人の親子連れが互いの手をとりながら、池面に漂う無数の“花筏(はないかだ)”を眺めていた。

暮れなずむ景色の中で、そこだけが ひと際あかるく見えたのは、
桜の樹々を抜けた西日が 親子の周囲に集中的に当たっていたからに ほかならない。


親子を包む光が美しく思える、間違いな今日一番の情景、my special favorite!
私はとっさに、首からさげていたデジイチに、手をかけた。
測光ボタンを“スポット測光”に変えながら、アンセル・アダムスの『ゾーン・システム』を意識した。

日暮れ時の、俗にマジカルアワーとよばれる時間帯の光は、例えようも無い不思議さを

伴う…とても“美しい光”であると同時に分刻みに様相を変える“難しい光”でもある。

ネィチャーフォトを、風景写真を志された方はだれも、ご存知のことだが…、

美しい情景を美しいままに写し留めるには、それなりのテクが求められる


出張カバンには、いつも“フイルムカメラGR21”を忍ばせている
仕事で関西にきたときは、できるだけ時間を作って…京都へと足を延ばすようにする。
そして、桜や紅葉の季節ともなれば、携帯するカメラは…デジイチに代わる。
確実な晴天が約束される時などは、なお更だ。

  光を読んで、暮れなずむ情景をキレイに写し取りたいと、願った。
  アンセル・アダムスの“ゾーン・システム”は、すでにC社やN社のみならず、S社やP社など…、
  ほとんどの一眼レフの中に吸収されて久しい。マルチの分割測光が、その最たるもの。

  それでも先人が苦労して完成させたゾーン・システムを学ぶことに、今日でもそれなりの
  意義は残っていると思う
  “親子”にスポット測光してオート・ブラケティング。
  “光る漣”に…、、“向こうの山のスカイラインに灯った明かり”に…、、と操作を繰り返す。
  もちろん、ブラケッティングの設定にもノウハウがあるのだが…!


何枚も撮った中で、最も気に入った一枚が、今回掲示の写真。
作品としてはイマイチであるが、私が撮りたいと願った『暮れなずむ時間帯の光』は、それなりに写し留めることができたと思っている


      

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Tuesday, April 13, 2010

Sakura, for the modesty of the Japanese people

日本人の謙虚さを生む…♪

妙齢のご婦人がひとり、桜に向かって歩いている。

帽子がとても、よく似合っている。

急いで
カメラを構えたが、シャッターを押すには、未だ早すぎた。

満開の桜を過去形で撮るのは違和感が有る。
  写真をクリックすると、大きくして
  観ることができます (*^^)v



さりとて、すでに満開の桜を、未来形で撮るのもおかしいと思う。

婦人が桜の枝の、長く伸びた部分に差し掛かるのを待って、私は、おもむろにシャッターを切ったが、これぞ、現在形の撮影だと、カルティエ=ブレッソン(文末の動画参照)が何かの本に書いている。

  
清水へ 祇園をよぎる 桜月夜 今宵会う人 みな美しき  (与謝野晶子)

満開の桜は、人を、美しく見せる…のだという。
それが月明かりに浮かび上がる“幻想的な夜桜”であれば、なお更であろう。


春の陽射しを受けて、満開の桜が咲く野良道を歩くのは、さぞや気持ちの良いものだろう。
帽子の婦人は、今日も満開を保っている桜に、安堵されているようにも見えた。
さくらが本当に美しいのは、たったの三、四日だと言われるからだ。

しかもその美しい時期を狙っていたかのように、毎年、風が…時には嵐さえも、吹く。

日本人は、この三、四日に無上の価値を置く
絢爛豪華に咲いて、サッと散る桜に、人の世の儚さを重ねるからだ。


The Japanese have feelings of awe and reverence toward nature. For western people, nature is something that has to be subjugated to secure the happiness of human race.
From the remotest past no Japanese has ever believed that. Nature is something majestic beyond all comparison with humankind, and we should humble ourselves before it. The Japanese sensed the existence of something holy in nature and so sought to live in harmony with it. It is this emotion that is responsible for the modesty of the Japanese people.


     

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