私たちは食事会をおえて店を出た。頭上には東京タワーがライトアップされて、暮れなずむ東京の空に、耀いて立っていた。まるで私たちに覆いかぶさるように立っていた。こんな間近でタワーの勇姿を観るのは久しぶりだ。
出張などがない限り、遠くに近くに、ほとんど毎日のように東京タワーを目にしているはずなのだが、こんなふうにタワーの存在を感じたのは久しぶりであった。特に意識しなくても、ビルの陰から見え隠れする赤い東京タワーが、いつも私の視界にあった。これは頭上を見上げれば、決まって空があるように、視界にタワーが在ることは、私の生活の当たり前の一部となっていた。
お昼の時間に自席をたって、気分のリフレッシュと称して、芝公園を散歩することを日課にした時期もある。仕事に関係した某学会の少委員会とやらで、勤務時間後にタワーそばの機械振興会館へと足繁く通った時期もある。どうやら、タワーと私とは不思議な縁でつながっているようだ。
時間が許せば、わざわざ歩いて遠回りをする。タワーを観ながら、芝大門をぬけて増上寺へ。増上寺の山門をくぐると広大な境内が広がり、その場所から眺める東京タワーはことのほか美しい。桜や紅葉の頃の薄暮には、その美しさは際立って冴える。
Originally, a landmark literally meant a geographic feature used by explorers and others to find their way back or through an area. In modern usage, a landmark includes anything that is easily recognizable, such as a monument, building, or other structure. If it follows this definition, Tokyo Tower is certainly a landmark of capital Tokyo in Japan. Recently, Tokyo Tower was nicknamed “Red artistic production”. Tokyo Tower, decorated with the light, towers in the night sky. The appearance looks very magnificent. The tower is an exactly red artistic production. It matches to the spectacle of city in Tokyo, and gives us a million-dollar night view. We held a small and happy ceremony to announce the engagement of my daughter to her fiancé in UKAI, located near by Tokyo Tower. The tower gently watched a full detail. And, Tokyo Tower became a glossary of seasonal terms for my family.
赤い藝術などと称されたりもする東京タワーは、今日までの長い間、まちがいなく首都・東京の
ランドマークであった。日本にテレビ時代が花開いた昭和32年(1957年)に着工した東京タワーは、国中の人智を結集されて驚異的な速さで、翌33年に竣工をみた。タワーが電波を送り出し続けた時代は、日本が「経済大国への道」を着実に突き進んだ時代と合致する。
その時代は、二本の映画、『
Always 三丁目の夕日』と、『
Always 続・三丁目の夕日』に、ありありと描かれている。多くの観客が笑い涙した映画、この映画に描かれた時代は、戦後の復興にアクセルを踏み込んだ時代であったとともに、みんなが不安を感じることなく、
あたたかい夢を持つことができた時代でもあった。日本アカデミー賞などの映画賞を総なめにしたこの作品が描く世界は、否応なしに楽しくて、懐かしい。
映画には二人の少年が登場する。鈴木オートの鈴木一平くんと、その向かいに住む小説家、芥川(あくたがわ)ならぬ茶川(ちゃがわ)龍之介宅に暮らす淳之介少年だ。彼らの遊ぶ姿や彼らの服装に、私自身の少年時代が重なって懐かしい。
私自身も実のところ、映画に登場する二人の少年と同世代なのだ。そして、「夕日町三丁目」は映画の中だけに存在する特別な町ではなく、あの時代の全国津々浦々に存在した実在の町なのである。スクリーンに映し出された世界は、東京タワーの姿こそないものの、小学生時代に私が暮らした北陸の小都市の情景そのもの…。我が家にテレビが来た嬉しい日、そして洗濯機が来て、電気冷蔵庫がきた晴れやかな日々。華やかに電化されてゆく日々の映像は、私が小学生であった頃の記憶に符号する。
生活スタイルが大きく変化した。徐々に華やかになってゆく。明日の生活に夢を持った。だれもが明日に希望を持つことができた。そして「頑張れば必ず報われる」…そんな実感を持つことができた時代であった。
我々は昭和の戦争が終って数年してから生まれ…、日本が幾多の危機を乗り越えて世界第二の経済大国に伸し上がってゆく…そんな時代を生きてきた。そんな時代を見守ってきた『時代の証人』としての東京タワーは、昭和を生きてきた我々世代のランドマークと云うことになる。
厳かなるも楽しい食事会がとり行われた。わが娘の祝儀となる食事会が、東京タワー傍にある“江戸文化の粋を堪能できる美食の空間”と謳われる・うかい で行われた。嬉しいことに、この日もタワーは、その一部始終を、あたたかく見守ってくれた。我が家の歳時記の「幸せのひとコマ」を…見守ってくれたのである。
かくして東京タワーは、我が家の歳時記を語る際の記念すべきランドマークとなった。