Thursday, September 3, 2009

Summer is departing after filling its album with memories.

記憶のアルバムをいっぱいにして夏が往く! 

I make a bridging article to fill up the gap before the next regular update.

It’s chilly, however, melody of Katyusya with light steps warms my loneliness.

Summer is departing after filling its album with memories.

次回の更新までの“長いギャップ”を埋めたいと思い、ちょっとした『つなぎ記事』を書く。
これが、私・Graymanの “存在証明”となるのであれば、望外の喜びとしよう(^^♪

それにしても肌寒い。 カチューシャの軽やかなメロディが、冷えた心を温めてくれる。
記憶のアルバムをいっぱいにして、私の夏が往く




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Monday, August 10, 2009

But no such summer skies have been seen yet this year.

向日葵が似合う夏空が恋しい…!

Imagine a sunflower in bloom below clear, sunny skies in mid-afternoon when noises and sounds grow distant--that's a quintessential image of summer, isn't it?

But no such summer skies have been seen yet this year.

This July saw weather phenomena experienced only once about every 30 years in terms of rainfall and lack of sunlight, according to the Meteorological Agency.

While August has yet to make up for July's lack of clear skies, today (August 7, 2009: Day where I returned from business trip) is officially risshû, the first day of autumn, according to the old calendar.

物音が遠く消え去ってしまうような昼下がり、
澄み渡った真夏の空の下、ヒマワリが、今は盛りと咲いている。

そんな典型的な夏の風景を想像して、楽しんでみた。

向日葵が似合う夏空に~今年は未だ、お目にかかったことが無い

雨の多さ、日照時間の少なさ…。
気象庁発表によれば、今年の7月は、30年に1度の異常気象なのだとか

7月の“夏空の少なさ”を、きっと、8月の空が埋め合わせしてくれるだろう…と、期待した。
出張を終えて、戻った8月7日は、二十四節気で云うところの立秋にあたる。
暦の上では、すでに秋。 どうやら、私の儚い期待は、裏切られたようだ。


月遅れ盆に、田舎へ…♪

7月下旬、地元の夏祭りを終えた私は、再び出張へと旅立っていた。

夏の盛りに、なぜか出張が連続する事に、呆れながら…。

もっとも気候が安定すると言われる、7月末から8月初旬にかけて、9~10日間の夏季休暇を取得するのが、私の夏の常(つね)であった。

広大な海を眺めながら まどろむヴァカンスも…、霊気漂う山懐に抱かれて 大自然の波動を感じる
山行きも…、気候の安定するこの時期に出かけてこそ、最高のものとなる。



子どもたちが小さかった頃、
楽しみながら、長い時間をかけて、夏の計画を練り上げたものだ。
家族で楽しむ『夏の計画書』作りは、子どもたちが大きくなるまで毎年、続けていた。

できあがった夏の計画は、手帳に挟み込んで携帯した。

重圧とイライラに押しつぶされそうになった時、これを取り出して眺めていると…、
夏になったら…」、そして「夏まで頑張りさえすれば…」等と、思いっきりの楽しさが
心に満ち溢れてきて、悲観的な気持ちを吹き飛ばして、前向きになる気力を充満させて、
心に落ち着きを与えてくれるのだった。



子ども達が独立しつつある今、
モチロン、夏の計画書こそ無いのだが…、
夫婦二人きりで、涼やかな高原でも良いし、鄙びた山里の温泉宿でも良いと考えていた。

にも拘らず、1~2週間程の出張の連続に「これでは、予定など立てようが無い」と諦めていた。
30年に一度と言われる『今夏の異常気象』のように、曇りがちな心は、晴れることがなかった。

ところが、
8月7日に出張から帰着することができたことで、
出張の合間を縫うように、14日~18日の5日間の夏季休暇を、確保することができた。

奇しくも今年の夏は、私を慈しんでくれた親族二人の新盆(にいぼん)ではないか。
有りがたい。 今年は、新盆に田舎に帰ることができるだけで…“良し”としよう。

いまさら切符や航空券の手配をするのは、容易ではない。 車で帰ろう。
1,000円高速の恩恵に浸ろうではないか…モチロン、50㎞~100㎞の渋滞など覚悟の上だ!!


ところで皆さん…、皆さんの夏は、いったいどのような夏になる(.or. なった)のでしょう?



Sunday, July 19, 2009

Natu-maturi-dô, the art of connecting with the passage of the seasons

夏祭り道(なつまつりどう)、なんでも芸術にまで昇華させる日本…!

In the U.K., the British just slosh tea carelessly into mugs slurp it down, but here in Japan we have created sadô, the tea ceremony.

For the display of flowers, we have created kadô, or the art of flower arrangement.

Strictly speaking, ideograms fulfill their function if the person to whom they are addressed is able to read them, but still in Japan we have come up with shodô, the art of calligraphy.

We Japanese turn everything into an art.

I think similarly, there is even something called natu-maturi-dô, the art of connecting with the passage of the seasons.

お茶することや、花の飾り方、字の書き方など、
すべてを深遠な体系の(どう)にまで高め上げる。
我々の祖先は、自然に対する繊細な感受性を源泉とした美的情緒を備えていた。

彼らは、
日常すべての…茶飯事(さはんじ)を、芸術へと昇華(しょうか)させてしまった。
昇華する基準は、ひたすら美的情緒(びてきじょうちょ)のみ。
美的情緒が、日常茶飯事の行為を、茶道華道書道にまで高めたのである。

美的情緒が組み込まれたのは、なにも、茶道、華道、書道…だけでは無かった。
季節のうつろいに 深くかかわりを持たせた 季節の祭りにも、美的情緒を種とする
美しい作法が、
組込まれている。

例えば、祭りの衣装を見てみよう。
半被(はっぴ)にハチマキの いなせな姿が、雰囲気を盛り上げる。

大小様々な団扇(うちわ)が、取り揃えられて、溢れだす熱気に、煽がれる。

女性の浴衣も、好ましい。
祭りの日の、暮れなずむ頃に観る 大和撫子(やまとなでしこ)の浴衣姿ほど、艶かしいものはない。
世界に誇る日本の美…、ここにも、美的情緒からの美しい祭りの作法が感じられてならない。


熱狂と陶酔の夏祭り…♪

季節の祭りの中でも、農耕や開始にその年の豊穣を祈る春祭りと、秋の収穫に感謝する秋祭りは、とりわけ重視された。


では、夏祭りは どうなのであろうか。

農薬が開発されておらず、近代農法が確立されていない昔のことである。


夏は、農作物がもっとも被害を受けやすい季節であった。
蒸し暑い夏は、ものが腐りやすく、食中毒や疫病(えきびょう)が まん延する、恐い季節でもあった。

人々は祈った。
無事に夏を過ごせるようにと祈ったのである。
今に伝わる「夏越の祓え(なごし の はらえ)
(← Click, please)」も、そのひとつ。

一年をとおして最も恐い季節…夏に催される(日本の)夏祭りは、概して威勢が良いようだ。
八百万(やおよろず)の神々や、身近に鎮座する氏神様(うじがみさま)に、日頃の恩恵を感謝するとともに、恐怖の夏を無事に乗り切るように祈るからだろう。


魔物を吹き飛ばすように威勢よく神輿を担ぎ、山車を繰り出して、熱狂して高らかに祈りを捧げる。
威勢のよさと熱狂のなかにも、決して破綻することの無い、美しい祭りの作法が潜んでいる。


湯上りの香りが漂う、そんな涼しげな浴衣姿の 艶やかで美しい情緒がある。
勇壮な神輿が作る、お神酒が漂う熱狂と陶酔の中にあっても 破綻をくい止める美しい情緒がある。

ところで皆さん…皆さんは、

いったい何に祭りに組込まれた美しい情緒(じょうちょ)を、お感じになるのでしょう?

Friday, June 12, 2009

Mizaru, Kikazaru, Iwazaru, "Three wise monkeys".

三猿主義は天竺(インド)唐(中国)伝来の教え…!

Figure of three monkeys who clasp both hands over their eyes, ears, or mouth, thus not seeing, not hearing, or not speaking. Beginning in the late Muromachi period, it became customary to carve tese figures on kôshintô, stone pillars used during the observances of kôshin. The three monkeys represent the Santai (Three Truths) advocated by the Tendai sect of Buddhism. The Tendai founder, Dengyô Dashi Saichô, is said to have carved a representation of this ideal in the form of monkeys.

Kôshin : According to Taoist tradition, on the night of kôshin-day “three worms” (sanshi) believed to dwell in the human body escape during sleep and report a person’s sins to the Celestial God, resulting in a possible shortenning of that person's life. During the Heian period, the Taoist custom of staying awake all night to prevent the worms’ escape was practiced amang Japanese court nobility, who fought off sleep with games of sugoroku and go and playing of music.


ご存知、『 見ざる、聞かざる、言わざる 』をあらわす三匹の猿、三猿(さんざる)である。
三猿主義(さんざるしゅぎ.or.さんえんしゅぎ)の考えは、中国から伝わった。
西暦805年5月(後に伝教大師となる)最澄(さいちょう)が、遣唐使(けんとうし)に随行して入唐求法の末に、唐(現在の中国)から持ち帰った天台の教えとして、日本に伝えたのだと言われている。

帰国した最澄は「天台宗(てんだいしゅう)」の宗祖となるが、その天台宗の教義では、三匹の猿は三つの真理「三諦(さんたい)」を表わしているのだと云う。

話はとても難しくなり、凡人の我々の理解を超えている。
では、簡単に考えよう!

天台の修業のひとつに観法(かんぽう)がある。
その観法は、『摩訶止観(まかしかん)』ともよばれ、わかりやすく解釈すれば、解脱して仏になるための瞑想法(めいそうほう)の一種であると言えよう。
この観法を修して、先ず会得し到達すべき三つの真理こそが…三諦(さんたい)である…のだと。


この教えは、民間信仰の庚申(こうしん)に結び付いて、室町時代以降、広く一般庶民に流布した。
そして、庚申の行事に使う庚申塔とよばれる石柱には、必ず三猿が彫られている。

平安時代の貴族は、道教
の習慣から、庚申の日の夜は、一晩中眠らずにいた。

人間の身体に巣食う三匹の虫(三戸(さんし))が、睡眠中に抜け出して、その人の罪状を天の神に訴えて、命を縮める…のだと、信じられていたからだ。

眠らずにいれば、虫が体内から逃げ出すことも無い。
ちなみに今年の庚申は、近くは7月14日(火)、次いで9月12日(土)ということになる。



三猿主義は隠遁の考え…?

Graymanのブログは、実のところ、このブログだけではない。
もうひとつ在って、元祖Grayman’s compound eyesが名を代えTimeThief of Graymanとなっている。

そのブログに、このGoogleブログを立ち上げる際、『ブログの隠遁(いんとん)』について書いた。

隠遁と云っても、私自身が隠遁するのではない。
「人生に疲れたGraymanが、隠遁して、ひっそりとブログ三昧の生活を楽しむ」のではない。
隠遁するのは、あくまでもブログ自身なのだ。

ブログの隠遁とは、いわば片肺飛行のようなもの…!

片肺飛行をするのは私ではなく…片方の肺をなくした飛行機のように、このブログが飛行するのだ。

片肺飛行と書いて…私は、映画『男はつらいよ』全シリーズで、「寅さん」を演じきった渥美清さんを想った。

病気で片方の肺を全摘出する手術を受けながらも、それを感じさせない見事な演技を続けた。
その渥美清さんも、撮影本番中であれ、全力疾走する演技はできなかったようだ。

片肺飛行も、全速飛行はできない。
それどころか、荷を積んで、目的地に向かって、スケジュールにあわせて飛ぶことなど…ままならぬ。
だって、二つあるエンジンの内のひとつが、まったく使い物にならないのだから!

片肺飛行からは明確な目的も、具体的な価値も見出すことはできない。
ただ、空に浮かんでいることだけで、「好し!」としなければならないのだろう。

用も無しに空を飛ぶのは、今日の経済環境下からすれば「航空燃料の単なる無駄遣い」としか思えないだろう。
ただ「空を飛ぶのが好きですから…」と言って、安全性さえも保障できない飛行機に乗り込んで飛ぶと言うのでは…、一般世間の常識から観れば、これは、単なるアホウにしか映らないだろう。

高く飛ばなくても良いと思う。 早く飛べなくても良いと思う。
空が飛べることだけに微かな喜びを見出せる…それが隠遁の片肺飛行なのですから!

ところで皆さん…、みなさんのブログ飛行の目的とは? そして、飛行して向かう目的地とは?